備後尾道 柿渋商店

瀬戸内地方で昔ながらに柿渋を手作りしています

作業日記


コースターは柿渋塗り。レースの下の布も柿渋染め。こんな風に、モノを再生させ、さらに土台として他を引き立てる柿渋さんが大好きです。尊敬しています。かくありたい。松永の蔵にて。

2月26日

今日も元気に朝から柿渋の商品詰め。春だからか、寒い間はさっぱりなかったご注文をにわかに色々いただきまして、誠に有り難く存じます。しかし、花粉が飛んでいるのか、外で作業していると、ちょっと目がショボショボします。それはさておき、納屋をたてこわした後、庭先で作業していると、お野菜を頂くことが増えてホクホク。道の向こうから手をふってくださるご婦人に甘えて、畑からまた取れたて新鮮お野菜を頂きました。有り難し。

頂いた泥つき野菜は、庭先の水道で即座に洗い、悪いところをとり、ざっと切ります。生ゴミはバケツに入れて奥の緑色のコンポストへ。青空の下で包丁を使うのは気持ち良いものです。逆に室内の狭い台所でやろうとすると、野菜の大きさが手にあまり挫けやすいです、私の場合。大きな透明プラスチックの衣装ケースを外に持ち出し、水を入れて洗いおけにすることもあります。じゃぶじゃぶと気持ち良く洗えます。

柿渋作業を中断して野菜の作業を楽しんでいたら、またうちの前の道をお墓参りにあがっていかれる年配のご婦人がいらっしゃいます。スポンジと水の入っているらしい小さなバケツを手にされたお姿に、それでは墓掃除に足りなかろうと、野菜作業を中断し、私もバケツに水を入れてタワシとひしゃくを持ち出して、山の細い坂道へ。あら、今日もカラスが多いなぁと思いながら坂道を登っていくと、、、きゃあああ。

久しぶりに心底から驚きましたよ。書いていいのかな、、、以下、怖いお話です

イノシンの死体が一つ、皮と骨になって道端に転がっていました。大きな肋骨にまだ少し肉が残り、毛が散らばっています。頭蓋骨は少し離れて原型を留めて転がっています。カラスはこれに集まっていたのか。そして、私が恐る恐る見ている間に、野犬が一頭、風のように現れて、血と肉の残る肋骨を一本、あっという間にかじりとり、その大きな骨をくわえて笹藪に走り去って行きました。呆然と見送り、きゃあああ。きゃあああ。と言いながら、ご婦人に追いつく。はあはあ、ゼイゼイ、きゃあああ。いや、本当に。きゃあああ。

ご婦人が言われるには、もう一頭、近くで死んでいて、それは埋めたそうです。野犬も5匹位いて、危ないね、と。子どもさん気をつけんさいな。は、はい、それはもう、もちろん、はあ、、、。

野犬が、漫画のように、チームを組んでイノシンを倒したのでしょうか、、、?え、本当に?? えええ??

墓掃除をざっと手伝い、帰ってきて、野菜作業を片付け、ようやく柿渋作業に戻って、なんとか仕上がり、伝票を書いて出荷へ。郵便局から発送して、ホッと一息。いや、しかし、イノシン、、本当に、、?うちの裏山で、漫画『流れ星 銀牙』(犬たちが死闘の末ヒグマを倒します)のイノシン版のようなことが、実際に、、、?? ともあれ、これはもう少し何とか山の草刈りをしなくては、、、野犬の住みかになってはいけん、、、

という午前中のあと、シャワーでさっぱり、気持ちを切り替えて昼食、移動、蔵で一息、お茶タイム。柿渋の農作業服を作っみよう、柿渋マイスター制度も作ってみたら楽しそう、と夢膨らむ。

その後、登録有形文化財候補のお宅を見学させていただく。古い民家の保存活用はどうしていくべきか、悩みます。柿渋やベンガラ塗りの体験会などはいくらでもできるのですが、やはり、民家は住み継いでいく人がいないと、結局は荒れてしまいますし、、、これは長年の宿題。また考えて書いてみたいと思います。倉田先生ならなんと言われるだろうと、胸中対話しつつ。


kanae3 • 2020年2月27日


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